REAL-TIME STORY

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⑥:『劉天華という男』
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私はさっそく東京を出て、ヒューロン本社のある中国に向かった。
学生時代はひとり旅をした事もあったけど、中国に行くのは初めてだった。
東京~上海間のフライト時間は、わずか3時間半。上海浦東国際空港は、広々とした近代的な建物だった。
到着ロビーに着くと、背後からかかる声があった。

「ようこそ中国へ、ミス・サラ」

名前を呼ばれて振り向くと、スーツ姿の屈強な男たちが、人混みを掻き分けて道を作っていた。
その道をゆったりと歩き、黒髪の青年が近づいてくる。女性のように整った顔立ちの彼に、私は問い返した。

「あなたは?」
「私は劉天華(リュウ・ティエンファ)。ヒューロンのセキュリティ・オフィサーです」
「あ、初めまして、サラ・コッポラです。わざわざお出迎えを?」
「もちろん、大事なお客様ですからね。外に車を用意してあります、本社までご案内しましょう」

劉と名乗ったその男は、優しく微笑んで言った。それから視線で周りの男性たちに指示すると、彼らが慌ただしく動き出す。
私とそう年も変わらないのに、たくさんの部下を従えているらしい。私は感心しつつ、劉に導かれて歩き出した。

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空港の外には、リムジンが待機していた。私と劉が後部座席に乗り込むと、車は静かに走り出す。
発展著しい上海の街並みを、車窓越しに眺める。視界を『XM視界』に切り替えると、街は緑と青の光に彩られていた。
時おりその光が、青から緑へ、あるいは緑から青へと変わる。この街にもたくさんのエージェントがいて、ポータルの奪い合いをしているのだろう。

私がヒューロンに入社してからの3年間に、XMを巡る状況は、大きく変化していた。XMを可視化するスキャナは、『Ingress』というアプリケーションソフトとなり、広く一般に普及していた。
ソフトウェア自体は5年ほど前にアメリカで作られたものだが、年々普及は広がり、現在では世界200ヵ国で使われている。今やXMは一部の研究者だけのものではなく、一般の人々にとっても身近なものとなった。
子供の頃は私にしか見えないものと思っていたのに、なんだか不思議な感じがする。そう思う私の心を見透かしたように、劉が囁いた。

「ミス・サラ? 例の『力』で、XMを見ているのですか?」
「ええ……っと、敬語じゃなくていいですよ。その方が私も気楽です」
「ではそのように。対等な同僚として対応させて頂きます」

劉は小さく咳払いし、それから口調を変えて続けた。

「――日本のスタッフから聞いているよ、サラ。君がXMを可視化できる、極めて希少なセンシティブだと」
「スキャナが普及した今となっては、そう珍しい力じゃなくなりましたけどね。『Ingress』を起動する手間が省けるというくらいで」
「謙遜する事はないさ。君の存在が貴重な事は事実だ。君の能力と献身のおかげで、ヒューロンのXM研究は急速に進んだ」

劉は柔らかく微笑し、それから不意に鋭い目をした。

「……その力を見込んで、君に頼みたい事がある」
「頼みたい事?」
「わざわざ中国まで来てもらったのは、その事も関係している。本社に着いてから説明しよう」

劉はそう言って、前を見据えた。
その視線の先には、林立するビル群の中でも、一際大きな建物があった。ヒューロン本社の社屋だ。
私はその威容に緊張しつつ、行く手の建物を見据えた。