REAL-TIME STORY

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③:『視界が開けた時』
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CERNでXMが発見された直後から、各国の企業や機関も、次々とその研究に乗り出した。
アメリカではIQテックリサーチ社が、ロシアではヴィシュラ・テクノロジー社が、そして中国ではヒューロン・トランスグローバル社が、各々急速にXM研究の体制を整え始めた。

大学卒業を控えた私は、その中から自分を採用してくれる企業を探した。
オーストリア生まれの私にとって、CERNが採用してくれればそれが一番良かったのだけれど、当時のCERNは研究員の募集を行っていなかった。3社の中で最も採用試験が早かったヒューロンを選び、東欧支社で面接を受けた。

面接の場で、私はそれまで隠してきた自分の特質を語った。
幼い頃から、XMが見えていた事。
その謎を解くために、ヒューロンに入社して、XMの研究をしたいという事。
そしてそれはヒューロンにとっても利益になるだろうという事も……。

私の言葉を聞いた時の、面接官たちの驚きの顔は、今でもよく覚えている。
当時はまだ、XMのスキャナが出回り始めたばかりの頃だった。私の特質は、自社のXM研究に役立つと、彼らも思ったのだろう。
面接を受けて間もなく、採用通知が来た。そこにはこう書かれていた。

「おめでとうございます、センシティブ。我々ヒューロンは、あなたの入社を歓迎します」

私はその時、初めて自分が『センシティブ』と呼ばれる者である事を知った。XMに対する感受性が高い、特殊な人間である事を。
同時に胸を、歓びが満たした。生まれて初めて、自分の特質を歓迎してくれる人々に出会えた。
闇に覆われていた視界が、大きく開けた気がした。

――その頃の私は、何も知らなかった。
当時のヒューロンは、XMを巡る抗争で、首脳陣が相次いで殺されていた。
ヒューロン社は、他社に出遅れた研究を、至急巻き返す必要があった。
私のようなセンシティブは、彼らにとって得難い人材だっただろう。

CERNが研究員を募集していなかったのは、XM研究の過程で発生した大規模事故により、組織が弱体化していたからだ。
事故に関わった者たちは、様々な勢力に命を狙われ、散り散りに逃走した。
そこにヒューロンを始めとする各企業が目を付け、人材争奪戦を繰り広げていたのだ。

私は知らない内に、その争奪戦に巻き込まれていた。
そんな事を知るよしもなく、私はただ喜んでいた。これから新しい人生が始まるのだと。
その行く手に何が待ち受けているかも知らずに……。